『気分転換に映画をみようとファースト・マンをみたんですが、さわやかな男のロマンじゃなかった件』と我々の討論をNOMAさんが投稿しているが、その気持ちは分かる!

『宇宙モノ映画』に期待してるものがそこにないのだ。メロンだと思ってかぶりついたら、カボチャだった。そのぐらい違う。いや、もっと違うかな。まぁ、それは勝手にメロンだと思ってたこっちが悪いという気もする。カボチャだって、煮物にしたら美味しい。

では何を間違えたのか?

(以下多少のネタバレを含みます)

『ラ・ラ・ランド』の監督と主演

なんというか、『叙情的』なんである。

野間さんを含め、僕らオトコノコは、宇宙モノの映は『第一宇宙速度』とか、『無重力』『真空』『月周回軌道』『機械船の酸素タンクが故障』『S-IVB』というような、テクニカルっぽいワードに溢れた映画だと思ってる。

いろいろな機械的、物理的故障が起こり、それを知恵と勇気で乗り越えるようなストーリーを期待する。

たとえていうなら、『アポロ13』『ドリーム』『ゼロ・グラビティ』『インターステラー』……みたいな映画だ。

が、『ファースト・マン』はそういう映画じゃない。そこに齟齬がある。

冷静に考えてみると、監督と主演は『ラ・ラ・ランド』のコンビだ。月着陸船の上に立ち上がって踊り出すような演出があったっておかしくない(さすがに、そんなことはない)。

彼らが描き出そうとしたのは、オタクな周回軌道に関するリクツではなく、『ニール・アームストロングとその家族の葛藤と苦悩』という人間ドラマだった。それや、宇宙のロマンを期待して見に行くと、『アレ? 何言ってるの?』となる。

でもだって、プロモーションに使われている映像だって、予告編動画だって、これまでの『宇宙モノ』を予想させる作りじゃない。せめてタイトルを『ファースト・マン——ニール・アームストロングと家族の苦悩』ぐらいにしてくれないと、内容が伝わらない。

ちなみに、今、ググってみると、英語の原題は『First Man』なのだが、原作小説のタイトルは『Firts Man : The Life of Neil A.Armstrong』だったようだ。分かりやすく、伝わりやすく、売れるように……と、マーケッターが工夫する中で、本質が失われていくというのは、ありがちな話ではある。

とはいえ、叙情的だったら悪いかというとそういうことはなくて、『人類史上最も危険な職業についた男とその家族の物語』だと思えば、見るべきところはある。宇宙飛行士とその家族はご近所さんとして暮らしていて、アポロ1号の事故などで突然向いの家のご主人が還らぬ人となったりする。そして、それがいつ自分の家族に降りかかるかもしれない。そんなストレスの下にある家族の物語なのだ。

そもそも、ニール・アームストロングは、娘、カレンを幼い時に脳腫瘍で失っている。そのことは彼ら家族に終生消えないダメージをもたらしている。映画ではニールが、常にその『欠けた何か』を追い求めて仕事に邁進し、リスクに対峙するように描かれる。

そういうドラマだと思ってみれば、それなりに興味深いが、つまりは想定しているより叙情的。逆に宇宙開発になんか興味のない女性と見に行っても、女性も楽しめる映画になっているのではないかと思う(エピデンスなし)。

主観的な映像の迫力と没頭感

といっても、主観目線で作られた映像のリアリティと迫力はなかなかに楽しめる。

冒頭は(たしか、そうとは表記されないが)ロケットエンジンを使った超音速実験機X-15での速度記録挑戦の様子が描かれるが、狭いコクピットの中で、外の風景もあまり見えず、揺れ動くメーターしか見せない閉塞感いっぱいの映像はど迫力だ。

また、打ち上げや大気圏再突入などの様子も、狭い窓から観た様子と、ライアン・ゴズリングの顔のアップで構成される。狭苦しいジェミニやアポロ船内の様子がリアルに感じられるが、広大な宇宙空間を感じるシーンは少ない。

轟音の打ち上げから、衛星軌道に上がり、エンジンを切った途端に訪れる静寂。轟音と静寂のコントラストがここまで激しい映画も少ない。

これらの映像と音響の効果によって、たしかに、その緊迫感は伝わる。筆者は筑波の宇宙センターでソユーズの大気圏再突入カプセルを観た事があるが、そのあまりの小ささと狭さに圧倒されたものだ。

2畳間ぐらいの空間のカプセルに機械がみっしりと詰まり、その隙間に3人のシートが肩を寄せ合うようなカタチで詰め込まれている。体験再突入というか、100km以上の高さから落下して来るにしては、あまりに貧弱なカプセルであることに驚いた。

その心細い感じと、迫力だけは確かに伝わった。あんな貧弱なもので、大気圏再突入するのは絶対にイヤだが、それに挑戦するというだけでも、宇宙飛行士というのは本当に勇気があると思う。

ちなみに、船内の様子は16mmフィルムで撮影されている。これは当時にドキュメンタリーやニュース映像が16mmで撮影されていたから、それをトーンを合わせるためだという。

また、X-15やジェミニ、サターン5型ロケットのシーンはCGではなく、実物大またはミニチュアの模型を作り、風景を映し出す巨大なLCDスクリーンの前で写されているという。これらは35mmフィルムで撮影された。

月面のシーンは、真空空間のクリアさ、直接的な太陽光が織りなすコントラストの強さを反映するために強烈な照度のLEDライトが使われ、65mmフィルムで撮影されたという。

撮影するフィルムを変え、解像感の違いから、リアリティを演出していったというわけだ。また、基本的に全編手持ちカメラで撮影されており、それがリアリティが高いとされているが、落ち着かない映像であるともいえる。

『宇宙モノ』のスペクタルを描いていると思わずに、ニールと家族の心情を描いた映画だと思って観れば、楽しめるような気もする。とはいえやっぱり、私は『宇宙モノ』が観たかったわけだが。