ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんは、かつて自身の著書『一瞬の夏』を、私小説になぞらえて「私ノンフィクション」と呼びました。それに倣うと、この映画はさしずめ「私ドキュメンタリー」ってことになりそうです。

『いつのまにか、ここにいる Documenntary of 乃木坂46』。そのタイトルどおり、いまをときめくアイドルグループ・乃木坂46に密着して作られたドキュメンタリー映画です。

乃木坂46のドキュメンタリー映画には、すでに『悲しみの忘れ方 Documenntary of 乃木坂46』(2015年公開)という作品があるのですが、今回の『いつのまにか……』は、その正統な続編ではありません。

この映画が初メガホンとなる映像作家・岩下力監督の「気配」が濃厚に漂っていて、前作とはまったく異なる色合いの作品になっているからです。

本作のパンフレットのなかで岩下監督は「この映画は、僕の『乃木坂体験記』です」と書いています。まさにそのとおりの映画なんですよね。良くも悪くも。

そのせいもあってか、乃木坂46ファンの間では賛否両論みたいです。

映画のレビューを見ると「感動した!」「泣けた!」という声がある一方で「監督は乃木坂を知らなさすぎ」「推しメンが映っていない」「いまの乃木坂に必要な映画だと思えない」「何を伝えたいのかわからない」……といった調子の悪評が並んでいます。

いや、そういう声が上がるのも、よくわかるんですよ。わかるんですけど、私個人としてはこの映画、結構好きなんですよね。ええ。

(以下、多少のネタバレを含みます)
(というか、すでにネタバレを含んでいるような気もしますけど)


ぶっちゃけ、予告編(と、キービジュアル)が良くなかったんじゃないかと思うんですよ。これだと、どう見ても、乃木坂46のエースのひとり・西野七瀬の2018年末の卒業の裏側を描いた映画だと感じるし、そういうものを期待をしてしまう。じつのところ、私もそう思っていました。

映画を観終わってみると「西野卒業」は確かにひとつの大きな要素に違いないけれど、何というか「横軸」のようなもので、メインではないとわかります。

「縦軸」に据えられているのは、あくまでも乃木坂46の次代のエースと目される齋藤飛鳥なんですよね。

実際、映画は、広大な海に向かって立つ齋藤飛鳥の後ろ姿の短いショットにはじまりますし、ラストは、彼女を暗喩しているかのような1羽のカモメが、大海原の上空に舞うショットで幕を閉じます。

何というか、齋藤飛鳥というひとりのメンバーの言葉や行動、心のなかにある「何か」を手がかりにしながら、岩下監督は「乃木坂って、なに?」「どこに向かっていくの?」という命題を解こうとしたーーそんな映画なんじゃないかと感じました。

乃木坂46というグループについて「名前しか知らなかった」という岩下監督(こういう感じの監督モノローグが、全編通して字幕で流れるっていう構成なんですよね)は、当初「こんな集団は見たことがない」と戸惑います。何かというとメンバー同士がくっついたり、抱きつき合ったり。異様なほど仲の良さそうなグループに、監督は面食らってしまうんです。

そんなグループのなかにあって、齋藤飛鳥はメンバーの輪に入ることなく、ひとりで食事をしたり本をめくったりしている。と、監督は、そういう彼女の姿に奇妙なものを感じつつ、乃木坂46という集団に戸惑う自分自身を重ね合わせたのかも知れません。

そして監督のカメラは、まるでグループのなかでの飛鳥さんみたいに少し用心深く、さりげない距離感を保ちながら、乃木坂46メンバーとともに、乃木坂46にとっての重大な局面「西野卒業」に立ち会います。

メンバーへのインタビューを挟みながら映し出されていく彼女たちの映像は、ひたすら美しくて、やさしさに溢れています。

西野七瀬が自身の卒業をメンバーに報告したときの与田祐希の、救いを求めるように泳ぐ視線。

上海でのライブ後「大好きな人と会えなくなることに強くなる必要ありますか」と語る大園桃子の涙。

西野とふたりでの雑誌の撮影で、明るく振る舞う高山一実の、ふと見せる寂しげな眼差し。

2018年末の紅白歌合戦(西野卒業当日)や、2019年2月の西野卒業コンサートの舞台裏でメンバーが流す涙、涙、涙。

こうして「西野卒業」を描きつつ、しかし監督のカメラは齋藤飛鳥に寄り添っていきます。

「昔の自分が嫌い」という齋藤飛鳥が、地元の成人式や中学校時代の同窓会に出席するという「かつての自分と向き合う儀式」に臨む一日を、監督は、延々とカメラに収めています。

さらに、エディンバラに旅する齋藤飛鳥に同行して、彼女がいま感じていることを聞き出して、そこで映画は終わります。

このとき語られる齋藤飛鳥の言葉は、映画のはじめの頃の、孤独な齋藤飛鳥の言葉とは少し違います。

「西野卒業」を経た彼女のなかに芽生えた、自分自身やメンバーに対する明白な信頼感のようなもの。そんな齋藤飛鳥の「意識の変化」のなかに監督は、乃木坂46の「救い」を見たんじゃないかと感じました。

ともかく。ドキュメンタリー映画としては、かなり散文的。

ストレートな「感動」を期待すると「あれ?」と思うかも知れません。それでも結構泣けるシーンはありますし、乃木坂46というグループの良さは十分伝わると思います。

そうそう。乃木坂46の「シンクロニシティ」と、ベートヴェンの交響曲第7番第2楽章を改めて聴きたくなるということも付け加えておきましょうかね。

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