『全米ではウケなかった』というありがたくない評判を引っさげて我々の前に登場した、スターウォーズの最新の外伝『ハン・ソロ』。

例によってアメリカでの前評判はあてにならないもので、我々にとってはとっても楽しい佳作エピソードだった。たしかに、銀河の運命も左右しないし、フォースもライトサーベルも、デススターもスターデストロイヤーやエクゼクターのような巨大戦艦も出てこないが、れっきとしたスターウォーズのエピソードだし、同作で一番人気のキャラクター『ハン・ソロ』の若かりし日、主役メカ(?)ミレニアム・ファルコン号のルーツを辿るストーリー。ファンとしては見逃せない一作だし、随所に『ニヤリ』とさせられるエピソードが盛り込まれていてたまらない。

それにしても、例によって邦題はどうなんだ。たしかに『ソロ』では何のことか分からないが、英語版の『SOLO』は、劇中にも出てきたように『独り者』『一匹狼』という意味を重ねたダブルミーニングな洒落たタイトルなのに、『ハン・ソロ』にしてしまっては、単に主人公の名前がタイトルになってるだけではないか。

ともあれ、この映画の面白味、隠された謎解きをひも解いていこう。

(以下、多少のネタバレを含みます)

外伝こそが美味しいとこ取り

我々の世代は日米ふたつの壮大なSF叙事詩の登場と成長に立ち合うことができた。

ひとつは’79年に放映された『ガンダム』で、ひとつは’77年に公開された『スターウォーズ』だ。この2作の最初の物語が、たった2年のズレで登場しているのは、たぶん偶然ではない。

片や、『無敵鋼人ザンボット3』という子ども向けアニメの後番組として始ったロボットモノ。片や、やっぱり当時としては色物、子ども向けと思われていたスペースオペラ。いずれも登場当時としては、非常な困惑をもって受け入れられたし、少なくとも現在のような大の大人が熱中してみるもの、だとは思われていなかった。

しかし、両者とも’80年代に入っても人気が続き、ガンダムの方は映画版、『Zガンダム』『ZZガンダム』と続編が作られ、それからの広大なガンダムワールドへと続いて行く。最初は設定資料の遊びだったりモデラーの想像力から生まれたMSVだって、いつの間にか正史に組み込まれている。またスターウォーズも『帝国の逆襲』『ジェダイの帰還』と続き、一時期はどうなることかと思われたが、全9部作が最後まで作られることになり、『ローグワン』『ハン・ソロ』の他にも複数の外伝が作られ、正伝も全9部作以上に広がると言われている。

ガンプラを改造し、まだ発売されていなかったMSVモデルを作ったり、MPCの帝国の逆襲版の大雑把な模型にAFVモデルの部品を接着したりして、なんとかリアルにしようとしていた僕らは、まさかそれから40年近くを経て、50歳にもなろうとしてもガンダムとスターウォーズを見ていることになるとは思ってもいなかった。

両者に通じるのは、最初の一作のイマジネーションが強烈だったために、そこからは想像もしないほど世界が広がったということにある。

たしかに、前日譚などは考えられてはいなかったであろうガンダムと、ルーカスが『最初から9作を考えていた』と言ったとされるスターウォーズでは、多少ニュアンスが異なるとは思うが、第1作が作られた当時に40年後も新作が作られているとは作っていたルーカスや富野さんでさえ思っていなかったことに違いはないだろう。

そんな脈々と続く物語の中で、特に自由にストーリーを構築できて面白い短編となり得るのが『外伝』だ。正伝はどうしても壮大な話になりがちだし、前後の長い物語上の辻褄を合わせるという制約が生まれてしまう。しかし、外伝ならそんな制約は少ない。

増してや、スターウォーズシリーズ中一番の人気キャラ(たとえ最期があっけなかったとして、も)であるハン・ソロの外伝となれば、面白いに決まってる。

……はずなのだが、意外と難産になって途中で監督が降りるなどお家騒動が起こり、アメリカでは今一つの興行収入となったというから不思議なものだ。

スペースウェスタンの面目躍如

ご存じとは思うが、最初のスターウォーズは広大な宇宙をまたにかけたスペースオペラの世界に、西部劇と日本の時代劇をぶち込んでごった煮にしたところに面白みがある。だからこそJEDI(『時代』から来ていると言われる)であり、ライトサーベルでの剣戟であり、ルークの柔道着のような衣装であり、ダースベーダーの日本の甲冑のようなマスクであり、ハンソロとトルーパーたちとの銃撃戦がある。

正伝の中心となるのは、スカイウォーカー家の血に基づいたフォースと剣戟の世界だ。

しかし、ルーク・スカイウォーカーとハン・ソロを比べたら、どうしたって魅力的なのは『ちょいワル』であるハン・ソロだ。もちろん、正伝の大黒柱であるスカイウォーカー家のお話ほど壮大な話ではないにしても、あのハン・ソロが、どうしてハン・ソロになったのか、スターウォーズ世界で語られるのが面白くないワケがない。

そして、やはり、スターウォーズ世界の中において、ハンソロの物語は西部劇のフォーマットで語られる。酒場でギャンブルをし、ガンファイトがあり、列車強盗で橋脚が爆破されるのは、間違いなく西部劇のフォーマットであり本作は『スペースウェスタン』だ。

貴種流離譚でなく、どん底からの這い上がり物語

ヤング・ルーク・スカイウォーカーの物語は、エピソード4から始るわけだが、その時点でハン・ソロはニヒルな大人だった。では、ヤング・ハン・ソロは、どんな出自で、どうして故郷から旅立ち、『ケッセルランを12パーセク』という伝説を身に纏ったヒーローになったのか? ……という物語が本作だ。

一番最初のエピソード4から語られるルーク・スカイウォーカーの物語は、農場に住まう純朴な息子が田舎から旅立ち、戦士として成長する物語だが、実はダースベイダーの息子であったという展開の都合上、強力なフォースを持つ『家系』であるという話が浮かび上がってくる。つまり、一種の貴種流離譚なのである。

1からのアナキン・スカイウォーカーの物語も貴種流離譚に近い血族の物語だ。それどころか、アナキンは血液中の『ミディクロレアン値』が高くてフォースが強いという謎設定が出てきて、父親は登場せず、シミは処女懐胎……つまりシミとアナキンは、当初マリアとキリストのように描かれる。つまり連綿と血族主義のまったく民主的ではない物語。’70年代ならまだしも、2010年代においては扱いづらいものがある。

さらに、ルークとレイアはエピソード8や9まで登場する、つまりは1〜9まですべて正当なフォースの血族の物語。それに対して、我らがハン・ソロは血族なんて関係ない。どこの馬の骨かもわからない『ならず者』だ。本作でも『父親がミレニアム・ファルコン号(もしくは同型のYT-1300)の製作に関わっていた』という意外な出自が語られるが、一応は庶民の出のようであり、物語が始る時点では明らかに貧しい。貧乏で何も持たない主人公が、チャンスを掴んで活躍していくアメリカン・ドリームな物語なのである。M-68はアメリカ中西部の農場で若者がチキンレースする時に乗っていたダットサンみたいなモノなのである。

想像以上に魅力的だった、キーラとその先

この物語の中で大きなカギを握っていくのが、ヒロインであるキーラ。

最初は幼なじみのイモ姉ちゃんとして登場するのに、再会した時には組織の中ボスの愛人。田舎で分かれた幼なじみが、東京で再会した時には暴走族のヘッドの女になってた……みたいな話なのである。しかも、単なる情婦ではなく冷酷で敏腕の副官となっており、物語の最後では中ボスをハン・ソロと共に亡き者にして、結局は大ボス(あの人ね!)に取り入って中ボスの座をせしめる悪女ぶりを発揮する。

キーラ演じるエミリア・クラークも、最初の田舎のイモ姉ちゃんから、中盤の悪い男を知っちゃった都会の女、冷酷な司令官、そしてウソかマコトか分からないハン・ソロへの想いを残した淑女、そして最後の裏切りでもっと深い迷いを秘めて上へのステップを踏む女を演じ分けていく。まさに処女と少女と娼婦に淑女、How many いい顔……なんである。

そもそも、ルークのレイアへのほのかな恋は実は兄妹でしたで終わるし、アナキンとアミダラの幸せは短いし、唯一のまっとうな恋愛はハン・ソロとレイア。そんな、スターウォーズ世界において、キーラは貴重ないい女ヒロインになってくれそうで、もし『ハン・ソロ』の続編が作られるのなら、登場が楽しみなキャラクターである。

男は女と分かれ、再会し、成長した女にやはりついていけない。女の方が早く大人になるからね。これもまた定番の物語なのである。そんな様々な物語の定番がぎっしり上手に満載された映画だ。十分な傑作だと思う。

たしかに、銀河の運命がかかっていたりはしない。しかし、これこそが『外伝』の面白味なのだ。

埋め込まれた幾多の『マニアのツボ』

そんな物語の軸に、我々スターウォーズファンを喜ばせる小ネタが満載されてる。これがまた嬉しい。

語り始めるとキリがないので、箇条書きだけしておこう。

・ミレニアム・ファルコンがミレニアム・ファルコンである秘話。そもそも、最新鋭のハイテクマシンではなく、ドロドロと回るトラックのV8エンジンを詰んだトラックが速いとか、第二次世界対戦の戦闘機をチューンして速さを競うリノエアレースの最速のマシンのエンジンが爆撃機のエンジンをチューンしたものだ……というような話に似ている。
・特徴的なミレニアムファルコンの先端の切り欠きが、実は脱出ポットが取外された後の形状だということが分かる。全体の形状もエピソード4以降よりのっぺりしていて、『改造前』である雰囲気を醸し出している。上面左のレーダーが起き上がっていなかったり、リアのメインエンジンの周りに可動式っぽいウィングというか、フラップがある。
・なんといってもエピソード4からの伝説である『ケッセルランを12パーセク』の謎が解き明かされる。
・ミレニアム・ファルコンには女性タイプロボットL3のコンピュータが取込まれている(ファティマみたい。でもその割にその後はまったくそれが登場しないけど)。
・チューイとの出会いについて。
・ハン・ソロの愛用するブラスターピストルが師匠筋であるベケットから譲られたものであること。
・後々登場するハン・ソロの幸運のお守りラッキーダイスの登場。
・後に雲の惑星ベスピンで再会するランド・カルリシアンとの出会い。
・この世界にはジャバ・ザ・ハットのグループと争うクリムゾン・ドーンなどのギャング団というか悪の組織がある。ハット・カルテルとは後にカーボン・フリーズされるほどのもめ事を抱えることになるが、クリムゾン・ドーンのボス(?)が例のあの人だということは、こちらは帝国やシスとの繋がりがあることになる。そして、エンフィス・ネストは反乱軍の流れを汲む組織……なのだが、本作がエピソード3の後、ローグワンの前……という存在であることを考えると、別にエンフィス・ネストだけがルーツってわけでないか。
……などなど。

ハン・ソロのルーツがコレリアのヤング・ギャングで、その後で帝国軍の歩兵を3年やっていたという表現も興味深い。アメリカだと若い時に兵隊を経験し、地獄の戦場をくぐり抜けてきた人が一定割合でいる……ということを反映しているのだろうか? そういえば、 ’80年代にアメリカから入ってきたTRPGの『トラベラー』でも、キャラクターメイクの時に、若い間に軍隊を経験し、退役したタイミングによって、キャラクターの技能の付加や、退職金の多寡が決まるというルールがあった。たしか偵察隊か商人だけが退職時に船を入手できる可能性があったような気がする。

あのハン・ソロが、上意下達の軍隊で3年もヘイコラと暮らせたとはとても思えないのだけれど。

アメリカでは、評判の悪かったひとつの理由に、このいろんな所に埋め込まれたエピソードが、マニアックな知識がなければ楽しめないものであるというのもあるかもしれない。正伝に繋がる都合上もあって、最後にまるで富野由悠季監督作品のようにみんな死んでしまう『ローグ・ワン』に対して、比較的穏やかなエンディングも好印象。

きっと、これから何作もハン・ソロの冒険譚は描かれるのではないだろうか? また、魅力的なキーラと会えるのならそれも大歓迎だ。彼女がダークサイドに落ちて行かないことを祈るばかりだが。