世界中の誰もが知ってるビートルズのことを、突然誰も知らない……とうい世界線に迷い込んだ主人公の話。

主人公のジャックは、幼なじみのエリーに献身的にサポートされる売れないシンガー・ソングライター。しかし、彼はまったく売れず、エリーに捨てゼリフを吐いて、ひとり自転車で帰る。

と、その時、世界的に12秒間の大停電が起き、その瞬間に交通事故にあった、ジャックは『ビートルズ』(と、オアシスと、コカコーラと、タバコと、ハリーポッター)のない世界線に迷い込んでしまう。

彼が、演奏するビートルズの曲に驚く人たちに味をしめて、ジャックはビートルズの曲を自分の曲のように発表しはじめるが……。

……というところまで聞くと、かわぐちかいじのコミックス『僕はビートルズ』を思い出す人も多いだろう。そんな話にも触れながら、この映画をご紹介しよう。


まず、最初に結論を言っておくと、この映画はたったひとつの点において観る価値があると思う。全体には、B級と言うと言い過ぎだが、まぁそんなに傑作というわけでもない。ただ、1点、衝撃を受けた。その点については重大なネタバレになるので、最後にお話しよう。

『僕はビートルズ』との共通点と差異

設定については、『僕はビートルズ』と比較するとよくわかる。

『僕はビートルズ』では、現代のビートルズのコピーバンドである『ファブ・フォー』が、50年前にタイムスリップする。そして、50年前の、まだ楽曲を発表していないビートルズの先を行くカタチで楽曲を発表していく。

それに対して、『イエスタディ』では、事故の瞬間に誰もビートルズのことを知らない世界に迷い込んでいる。つまり、舞台は現代だ。現代なのに、強引な設定で誰もビートルズを知らない。そこが大きく違う。

『僕はビートルズ』では、ビートルズより先に楽曲を発表することで、ビートルズが売れなくなっていくという局面が発生し、「僕らがビートルズを壊してしまったんじゃないか?」「僕らは剽窃者じゃないか?」という点において、メンバー内に迷いが生じ、それがバレるんじゃないか? という恐怖感が物語をドライブしていく。

対して、『イエスタデイ』でも「剽窃者じゃないか?」という恐怖感は描かれるが、それほど深刻ではなく、それよりも物語をドライブしていくのはエリーとの恋物語だ。

ちなみに、『僕はビートルズ』は、最後にビートルズに曲を返すということで物語は終わっており、ちょっと急に中途半端なエンディングを迎えたから、「打ちきりになったのかな?」と思ったことを覚えている。

ファンには興味深いシーンもいっぱい

全般には楽しい映画だ。ビートルズの名曲が次から次へと出てきて、それぞれ場面と曲がよくシンクロしている。『アリー/スター誕生』や、『ボヘミアン・ラプソディ』ではないけれど、急速にスターダムを駆け上がっていくドライブ感も楽しい。なにしろ現代だから、SNSで投稿されたり、YouTubeの再生回数がすごい勢いで上がっていったりするのだけど、もしビートルズが現代にいたらこんな感じなのかな? とか思えて面白い。JALラップからはっぴを着て下りてきた彼らが、プライベートジェットで来日したのかな? とか。

ストロベリー・フィールドを訪問するシーンがあったり、ファンに追いかけられるシーンや、ホテルの屋上で演奏したシーンが、現実にビートルズに起こった出来事なのも面白い。そういうエピソードを知っていれば知っているほど楽しめる映画だろう。

エド・シーランが本人役で出てきて、ジャックがスターダムに駆け上がるキッカケを作るというのもこの映画を特別なものにしている。本物の大スターが、こんなユニークな役を引き受けたというのも、本作の特別な点だろう。

ジャックとエリーのラブストーリーもよくありな物語だが、エリー役のリリー・ジェームズの好演で素敵なものになっている。

監督のダニー・ボイルが『スラムドッグ$ミリオネア』を作った人だといえば、だいたいの雰囲気は分かるのではないだろうか。

佳作だが、一流の作品ではない

残念なのは、主人公のジャック・マリクを演じるヒメーシュ・パテルにあまり魅力がないことである。ギターも、ピアノも弾けて、歌も歌えて演技も出来る。そりゃすごいのだが、キャラクターとして人を惹きつける魅力に乏しいように思う。ダイバーシティの問題とかもあるのかもしれないが、この物語の主役をインド系の人にする必要があったのかなぁ……という疑問な感じる。

別世界に入るキッカケも雑。世界中が12秒停電して、その間に自転車で走っていて、バスにはねられるって、なんだそれ。雑過ぎない? と言いながら『僕はビートルズ』も、電車にはねられる瞬間にタイムスリップするのだから五十歩百歩だが。このあたり、もうちょっとていねいに作れないものか。

物語内にビートルズを知っている人も数人出てくるのだが、そのへんの話も雑で、何でビートルズを知っているのか? 彼らは何をしているのか? どういうキッカケで彼らも別の世界線に迷い込んでいるのか……とかも、もうちょっとていねいに作り込んでもいいと思うのだが。

しかし、そういう欠点はさておいても、この映画をお勧めしたい理由がある。

これは、おおいなるネタバレになるので、この映画を観る予定の人はこの先を読まないでいただきたい。

しかし、心を打つ傑作映画

ホントにネタバレるよ? いいの?

というわけで、僕がこの映画を素晴らしいと思ったのは、あの浜辺の家のシーン。

ジャックが訪れると、浜辺のぼろ家に暮らしている人がいる。

ドアを開けると、ガラス瓶に絵筆が突込まれていて、何枚も見覚えのある画風の絵が置かれているのが見える。

そして、ジャックは78歳になったジョン・レノンに会う。ビートルズのない世界で彼は漁師をしており、「いろいろあったが、幸福な人生を送った」と語る。

ジョン・レノンが凶弾に倒れず、78歳になる世界線。海辺で漁師として暮らし、ひとり絵を描きながら幸せな人生を送っている……そんな現在があったかもしれない……もし、生きていたら、僕らはこんな年格好のジョン・レノンに逢ったかもしれない……。そんな思いを抱かせてくれるだけで、この映画を観る価値があったと僕は思う。

浜辺の小屋でひとり絵を描くジョン・レノンはとても幸せそうだったし、それを観た僕も幸せを感じた。

ただ、オノ・ヨーコの姿はそこになく「いろいろなことがあった」とだけ語られたのも、ちょっと気になる点ではあったが。