たった300万円の予算で、ほぼ無名の監督が、無名の俳優、スタッフを集めて、ワークショップなどを経て作った自主製作に近いインディーズ映画が、日本各地や、世界の数多くの賞を受賞し、最初たった2館での上映から始まり、8月初旬現在で100館以上で上映されている。おそらくこれからも上映館は増え続けるだろう。

昨年の『この世界の片隅に』も、クラウドファンディングで予算を集めるような低予算から始まり、ロングラン上映する大ヒット作になったが、監督の事前の評価、予算規模、上映館の数からいっても、爆発での拡大率は本作の方が大きい(どちらが良いという話ではなく、比率の話)。まさに、歴史に残る異常事態だ。

しかし、本作の内容について、触れることイコール猛烈なネタバレなので、論評が極めてしにくい映画でもある。

ともあれ、言いたいのは『まず映画館に行け』『これはDVDじゃなく映画館で観るべき映画だ』『どんな気持ちになっても途中で絶対に席を立つな』ということ。

あと、私はゾンビ映画はあまり好きではないが、この映画は好きだということも一応言っておきたい。主題はそこじゃない。あと、映画というものをあるていど観る人じゃないと、ひょっとしてこの映画の良さは伝わりにくいかもしれない。クリエイターは絶対必見だけど。

あとは、もう『続きを読む』以降に書くしかない。

ちなみに、いちおうこれまでのフォーマットに合わせて予告編を貼っておくが、断固としてこの予告編は観ずに映画館に行った方がいい。ネタバレという観点でいえば、この予告編は非常に出来が悪い。

映画を観てない人は、絶対にこの予告編観ちゃダメよ!

(以下、ネタバレ成分しかないので、映画を観てない人は絶対に『続きを読む』はクリックしないで下さい)


……もう、映画を観た人しか、この文章は読んでませんね?

もし、まだ観てない人がいたら、即刻ブラウザを閉じて映画館に行って下さい。あとはもうネタバレの話しかしませんから。

いいですね?

というワケで本気のネタバレ話をする。

メタな劇中劇中劇中劇に秘められた真実

映画を観た人なら分かるように、この映画は『劇中劇中劇』もしくは、エンディングのメイキングを入れると『劇中劇中劇中劇』という構造になっている。

最初の数十秒のシーンが一番内側の構造で、その外に『日暮監督』が撮っているONE CUT OF THE DEADという映画が2番目の構造がある。その日暮監督たちが映画を作っている情景という3番目の構造がこの映画の主題なのだが、最後に本作の監督(あぁややこしい)である植田慎一郎監督のあたまに付いたGo Proの映像によるメイキングというカタチで、そのさらに外にある世界が映ることにより4重の劇中劇という構造が成立している。

しかし、同時に、日暮監督が演じる劇中の監督も、日暮監督も、上田監督も、それぞれに紐付く俳優や、スタッフたちも、無名で貧乏していてクリエイティブの魔物に取り憑かれて情熱を燃やす人々であるという点において、最初っから真実しか映していない。

多重構造の劇中劇なのに、誰も実は演じてないというメタな構造が成立しているのである。

劇中で日暮監督は、テレビの再現ドラマなどを撮る売れない監督を演じているが、この『カメラを止めるな!』が300万円で作られたということ自体が、そこから五十歩百歩の状況だったということを物語っている。

なにしろ、そこから幾多の賞を受賞したというブーストがかかっていたとはいえ、最初の6月23日の先行公開はたったの2館。

なんとか、少しでも出演者にお金を払いたいという理由でクラウドファンディングが行われたほどだ。

プランニングなどに膨大な時間が費やされたとはいえ、実質的な撮影日数は8日間。

300万円の予算、8日間の撮影期間でこれだけの映画が作れるということが、すべてのクリエイティブに携わる人に勇気を与えてくれる。予算じゃない、時間じゃない、ましてや有名な俳優や監督じゃない。すべてを持たなくても奇跡を起こすことができる。それがクリエイティブの魔法なのだ。

(同時にプロデュース側に言っておくが、予算と日程がなくてもなんでも作れるという話ではない。良いものを作るにはキチンと予算と日程を用意しましょう)

ともあれ、すべての作り手に、自分が手にしている魔法の力を信じさせてくれる映画なのだ。

37分の超々ロングカットが産み出した奇跡の緊張感

このメタな構造を持つ映画に絶対に必要な緊張感を与えているのが、信じられないような37分間の超々長回しカットだ。

映像に携わった人ならご存じのように、現場には演じている俳優はもちろん、カメラ、アシスタント、監督、メイク、大道具、小道具、音声、照明、レフ板を当てる人、ハレ切りをする人……などの数多くのスタッフがいる。

そのスタッフ全員を2重構造で回しながら、なおひとつのミスもなく37分のロングカットを成立させなければならないのだ。

正直、そんなこと出来るワケがない。……そんな奇跡を起しているのだ。

実際にこのロングカットは茨城県水戸市の芦山浄水場跡地(https://goo.gl/maps/Amz13H39jbp)で、1.5日間で、6回のトライで撮影されたものだ。セリフを間違えられない、段取りを違えられない37分のロングカットを6回もやるなんて本当に信じられない。

絶対に潤沢ではないスタッフで、血糊がついたら使えない衣装を大量に使いながら、6回の撮影を行っているのだ。本編には、その中で奇跡のように成功した37分のカットが使われている。

劇中カメラに血糊がついて、ウェスで拭きながら走るシーンがあるが、あれは演出ではなく本当に血糊がついたアクシデントなのだそうだ。そのアクシデントさえも効果にすり替えて、37分の『ONE CUT』を実現した緊張感、情熱が、この映画の緊張感、情熱としてそのまま宿っていることは確かだ。

カメラマンが(本当に)転んだり、スタッフが(本当に)見切れたりで、2日間6回のチャレンジで最後まで撮れたのは4回だったが、5回目までに使い物になるカットはなかったそうだ。日が暮れ始めた最後の『テイク6』で、本当の奇跡のように使用されたカットが撮影されたらしい。

すべてが真実だからこそ、SNS全盛の今、大ヒットした

劇中で日暮監督は、妻まで役者として登用し、娘もスタッフとして割り込み参加していく。しかし、現実にも上田監督の奥様も衣装、宣伝ビジュアル担当として借り出され、なんと生まれて4カ月の監督の赤ちゃんも駆り出されている(事故で本編に出られないメイク役の女性の赤ちゃんとして)。

日暮監督一家の貧相な(失礼)アパートとして登場する部屋も実際の上田監督の家なのだそうだ。

SNSで何もかもが伝わってしまう今だからこそ、このどこまでもウソのない真摯なクリエイティブが心を打つのだ。

予算さえあれば、すでに死んでしまった女優さえCGで再現できる今だからこそ、この真実の劇中劇中劇中劇が多くの人の心に突き刺さり、SNSで野火のように広がって行く。

そういえば、さらにメタな構造を見せてくれたのが、上田監督のこのFacebookへの投稿だ(https://www.facebook.com/notes/sadayuki-ueda/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%85%8E%E4%B8%80%E9%83%8E-%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%82%92%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%82%8B%E3%81%AA/939903029547334/)売れない上田監督のお父さんによる『お母さんのLINEを止めるな』という投稿がさらに多重構造を増す。

これまた、SNS自体のクリエイティブに拍車をかけている。

『この世界の片隅に』が立証した「もう本当の情熱、本当のクリエイティブしか心に刺さらない」ということを、さらにしっかりと僕らに伝えてくれるのが『カメラを止めるな!』なのだ。

自信を持ってクリエイティブに取り組もう。もう小手先の技術や、お金をかけたプロデュースやプロモーションでは世界は動かなくなったのだ。