細田守監督の最新作、『未来のミライ』とっても面白かったです。

絵はきれいだし、人の心の機微はよく描かれているし、細かい感情、細かい動作を『アニメーション』という手法で描くことがここまでできるようになったんだと感心させられた。傑作だと思う。

でも、ネットでは『未来のミライ』に対する評価が真っ二つに分かれてる……らしい。不思議なような、「ああ、なるほど」と思うような。

(以下、多少のネタバレを含みます)

子育てを経験した人にとっては、「あ〜! あるある!」満載!

4歳の『くんちゃん』の目線で、妹が産まれた家族の物語を描くのですが、表情や気持ち、ディテールの描写がとても細かくて、家族の気持ちの機微、思いがよく描けてる。そして、ちょっとファンタジックな展開を経て、子供たちの未来、親や祖父母たちの過去が折り重なって、家族のつながり。ずっと、先祖からの家族を、子思う気持ちが繋がって、今の自分たちがあり、先に繋がっているということが描かれる。傑作だと思う。

冒頭は、生まれたばかりのくんちゃんの妹『未来ちゃん』を連れてお母さんが産院から帰ってくるシーンから始まる。くんちゃんはいわゆる赤ちゃん返りを起して、自分に構ってくれないお父さんとお母さんに不満をぶちまける。ひとり目であるくんちゃんが赤ちゃんだった時には、あまり育児に関わらなかったお父さんは、脱サラをして家にいるものだからと、慣れない家事に奮戦。二人目の赤ちゃんを見に来た『じぃじ』と『ばぁば』は、若夫婦に手を貸しながら『あんたの子どもの頃だってね』なんて話をする。

多くの幸せな家族に起る出来事を、細かいディテールの積み重ねで描いていく。

慣れない家事で、洗剤の種類が分からなくて夫は妻にボヤかれる。子どもは片づけたばかりのプラレールを家中に敷いてまわる。妻は寝不足で、子どもは構ってもらえない不機嫌で、幸せなはずの日々にイライラが積み重なって行く。

育児をした人なら、「あ~! あるある」と、思わずニヤついてしまうエピソードがクドクドと続く。経験ある人なら、いちいち懐かしさを感じるが、そうでない人は「何を他人の子育てを見せられてるのだろう?」と思うのかもしれない。

ファミリーツリーの物語

そして、くんちゃんには時々、ファンタジックな出来事が起る。飼い犬のゆっこが人の姿になって語りかけて来たり、赤ちゃんのはずの未来ちゃんが14歳の女子中学生の姿で現れたり、過去の世界にトリップしたり、未来の世界にトリップしたり。

子どもの頃、想像と夢の世界がごっちゃになって記憶されてたことってないだろうか? 私は戦時中に裏山に隠されたという伝説のゼロ戦を探しに友達と山に入ったことがあるし、近くの長く続く市場を歩いていたらいつの間にか迷子になって、ひとりで異界のようになった市場を何時間もさまよい歩いた夢を見た事もある。子どもの頃の夢と記憶と想像がごっちゃになっている領域。くんちゃんの不思議な体験なそんな世界なのかもしれない。

そんな世界にジャンプしながら、くんちゃんはいろんな経験をしていく。

生まれたばかりでほやほやの未来ちゃんを大きくなった妹と捉える世界があったり、自分たちのひいおじいさんが戦争を生き抜き、ひいお婆さんと結婚することになる一瞬を見たり。そんな時間があったからこそ、今に繋がる命がある。

戦争で負傷して足を引きずるひいおじいさんの話や、未来ちゃんの赤いアザが過去と未来を、そしてファミリーツリー(家系)を繋いで行く。

子どもを育てると、自分を育ててくれた親のことに想いがいくものだし、幼ない頃の自分を見守ってくれた祖父母に想いが到る。そして、自分が子どもの頃には想像もしなかったことだが、その祖父母にあって幼い時があり、若い時があり、恋愛があり悩みがあったであろうことに思い至る。多くの場合、思い至った頃にはもう聞き出すことができなくなっているのだけれど、羨ましいことにくんちゃんはファンタジーの力によってそれらをかいま見る。

そこには、くんちゃんの家族を、遠い過去から未来へ繋ぐファミリーツリーがあるのだ。

圧倒的な細かさで描かれるディテールに魅了される

ファミリーツリーといえば、くんちゃんの家の庭にある樫の木は、彼のファミリーツリーを象徴する存在として現れる。まるで木のように、人の人生は親や祖父母、そのまた親たちの人生と想いが紡がれて繋がっているのだ。文字通り、『家族の木=ファミリーツリー』なのだ。

彼の家は『建築家であるお父さんの設計』ということになっているが、中庭にある樫の木を中心に、玄関側の採光のいいくんちゃんの遊び部屋(?)から、中庭、リビング、お風呂や寝室……と繋がる構造になっている。非常に凝った構造で若夫婦の家には相応しくないかもしれないが、両親のライフスタイルを表していると思う。場所な冒頭から高い位置からの風景が何度も描かれるが、遠くに本牧やランドマークタワーが見える磯子辺りのように思える。

実は知人の家で、こういう構造の家を知ってるのだが階段の部分をモノ置きに使ったりと、かなり生活しやすい家だと感じた。ただ、部屋の構造上、つがってしまうので冷暖房が難しい……とは聞いた。また、掃除は面倒だし、高齢になって階段が辛くなると暮らしにくいかもしれない。ある意味暮らしにくそうな家だが、だからこその愛着のある暮らしがあるのかもしれない。

この家を含め、さまざまな『モノ』のディテールが緻密に描かれているのも、『4歳のくんちゃんの生活』という単純な物語の奥行きを深くしている。

たとえば、彼らの自家用車は古いボルボ240(多分)。横置かれてる自転車は、前の型のBD-1。お父さんの使っているパソコンはMacBook Pro。しかも、最新のThunderbolt 3コネクターものだ。私は鉄成分がないので、よく分からないが、くんちゃんの持ってるプラレールや、ミライの東京駅のシーンで出てくる鉄道もかなりマニアックに描かれているように思う。未来の新幹線のデザインは、川崎重工も協力したらしい。

途中で出てくるネオンテトラが泳ぐ水槽は、龍王石らしき岩を配して、ソイルの上にグロッソスティグマをびっしりと植えたレイアウト。ネオンテトラに良く似合うレイアウトで、水槽のことを良く知ってないと描けない描写だと思う。密生したグロッソスティグマの描写は本当に美しかった。

おじいさんが若かりし日の工場には、ゼロ戦のものとおぼしき星形エンジンと、そのクランクケースが置かれている。ちょっと描写のサイズが小さ過ぎるような気がしないでもないし、終戦後にそんなものを個人が持っていられるワケはないのだけど……。

ひいおじいさんがくんちゃんを乗せて、三浦半島を追浜あたりを横須賀へと駆け抜けて行くバイクはBMWエンジン。ただし車体はひいおじいさんのオリジナル制作という設定らしい。ただし、3本のカーブしたパイプをトラスで繋いでメインフレームにする構成は、今どきのカスタムビルダーがデザインしそうで、終戦直後に作れるものではないと思うが。何かモデルになったカスタムバイクがあるのかもしれない。バイクの音は本物のBMWから録ったモノなのだろうか? どうもBMWのフラットツインというよりは、国産パラレルツインのエンジン音に聞こえるのだが……。まぁ、そんなことをいろいろ論じたくなるぐらい、細部が書き込まれていて面白いのだ。

独身の方には理解し難い

ちょっと話は脱線したが、4歳の男の子の目線を軸に、曽祖父から、親、子へと繋がれて行くファミリーツリーを描いていくのはとても面白い。あたり前の日常が緻密に描かれているからこそ、あたり前の家族の日常がいかに大切なのかということも描かれていると思う。

お父さんとくんちゃんが、自転車の練習に行くシーンもそうだ。子の親にとって『自転車の横玉を取って練習する場面』というのは、本当に子の成長を実感する想い深い場面だ。それを象徴的に使って、くんちゃんの成長を描くのも上手くできたストーリーだと思う。

ただ、ここまでこう語ってきたが、子育てをしたことのない人にとっては、それぞれのディテールはバラバラで繋がらないものだろうし、『なぜ、他人の子育ての話を見せられるのか?』という不満に繋がるだろう。また、タイトルで描かれる14歳の『未来ちゃん』は、『萌え』の対象として描かれるのではなく、成長した娘の姿として描かれるーから、そういう期待をして映画を見た人にとってはまったく魅力的ではないに違いない。だから、口さがない言い方をすると『独身のヲタ』には理解し難い映画だといえるだろう。

また、私が見に行った日曜日の昼間には、子連れの姿も多かったが、子供にも理解は難しい気がする。

さらに、まさにジャストくんちゃんや未来ちゃん世代の子供(0~4歳の幼児)がいる親にとっては、リアルな日常過ぎてイライラするのではないだろうか?

というわけで、この映画の実際の観客は、子供が手を離れかけ、そろそろ親の介護が気になってくる(親や祖父母の人生について考えることになる)40~50歳の子持ち既婚者ということになると思う。

不幸せなプロモーション

強いて言うと、プロモーションはまったく間違っていると思う。

今のプロモーションでは、14歳娘キャラに対する萌えや、子供にも楽しめるファミリー映画を期待して映画館に足を運ぶ人が多いのではないだろうか? 予告編を見ても、4歳のくんちゃんと14歳の女の子のファンタジックな冒険活劇を期待してしまうと思う。

これによってこの映画を見た人が文句を言い、肝心の40~50歳の子あり既婚者世代には届いてない気がする。いい加減、プロモーションといえば、萌えと子連れ向けっていうアプローチはやめないと、不幸せしか生まない気がする。

願わくば本作が、実際の対象とする視聴者の元に届いて、ちゃんと良い評価をされればと思う。