私にとっては『READY PLAYER ONE』を越えて、2018年前半の最高傑作。

すべての人に見て欲しいし、とりわけ子供のいる人には絶対に見て欲しい。普通に冒頭から涙が止まらないし、ハンカチは2〜3枚持って行った方がいい。

主人公は、先天的な遺伝子疾患で醜い顔を持って生まれたオギー(ジェイコブ・トレンプレイ)。27回もの手術を受けてもなお、なかなか普通とは言えない風貌。

そんな彼が、10歳にして初めて学校に行く場面から始まる。父親・ネート(オーウェン・ウィルソン)と母親・イザベル(ジュリア・ロバーツ)は、勇気と愛情を持って我が子を校門のところで送り出す。

当然のことながら、クラスメートは戸惑い、いじめが起る。家族はそれに翻弄され、当人は悩む。そして最終的に、オギーは持ち前の知恵とユーモアでそれを乗り越えて……というと、ありがちな身体に障害のある人を題材にした、お涙頂戴物語、感動大作……悪く言えば『感動ポルノ』なんじゃないか? と思われるかもしれないが、本作はちょっと違う。

観賞後はさわかやで、温かく、心強い気持ちになっている、とても不思議な映画なのだ。

まずは、この動画を見ていただきたい。顔に障害のある息子を校門の所で見送る両親と姉。

満身の愛と勇気と共感で、息子を送り出す。

子を持つ親なら、もうこのシーンだけで、共感で涙が溢れてくるはずだ。しかし、この映画、それだけではないのだ。


(以下、多少のネタバレを含みます)

誰もに起る物語

もちろん、これは顔に障害を負った特殊な男の子の話だ。しかし、同時にあらゆる人の話なのだ。

誰だって教室に入っていく時に、とても勇気が必要なことがあったはずだ。

劣等感にさいなまれ、友人に裏切れ、誰かにバカにされたり、ヘイトされたりして、孤独感に押しつぶされそうになり。そんな気持ちを感じずに、大人になった人はいないはずだ。

そうでなくったって、誰でも怪我をしたりして障害を負う可能性はある。順風満帆、悩みも傷もない人生なんてない。そして、ちょっとした劣等感が、深い傷になっていくことがあるのは、大人なら知っているはずだ。

この物語は『かわいそうなオギー』だけの物語ではなく、彼を取り巻くみんなの物語だ。「なぜ、他ならぬ我が子が障害を持って生まれてきたのか?」と悩める両親であり、姉のヴィアであり、自らのストレスをオギーにぶつけざるを得ないいじめっ子であり、オギーの味方であろうとしながら裏切ってしまう友人であり……さまざまな人の目線で物語は描かれ、観客はそれぞれに共感することができるのだ。

オギーだけではなく、誰もが悩んでいる。あなたも。

とりわけ、私が注目したのは姉のヴィアだ。

弟は障害を負っていて哀れだ。ヴィアはとても優しい姉で、いつもオギーと一緒に遊び、慈しみ、彼が友達にいじめられたりしないか不安に思っている。

しかし、それと同時にヴィアは、両親の愛情や心配がすべてオギーに向かう辛さに耐えている。10代なりの孤独も悩みもあるのに、両親のサポートはすべてオギーに向かっているばかりか、自分も『醜い弟を持つ姉』である負荷がかかる。彼女だって、誰かに大事にされたいのだ。

にもかかわらず、親友は彼から離れて行く。弟が学校に行き始めた日は彼女にとっても高校生活の最初の日だった。しかし、新しいクラスメートにうちとけることもできないし、彼女の唯一の理解者だった祖母は、すでにこの世の人ではない。

母親イザベルも息子をサポートするために絵本のイラストレーターと美術の先生になる夢を諦めている。父親ネートにだって、仕事上の悩みはいろいろある。

よくある話だが、いじめっ子はオギーと友達になろうとするジャック(ノア・ジュブ)も一緒にいじめる。『オギーをいじめないとお前も仲間はずれにするぞ』と踏み絵を踏ませる。ジャックは一度はオギーを裏切ってしまう。そして、自分の勇気の無さ、オギーを裏切ってしまったことの恥ずかしさに悩む。こんな経験だって誰もにあるはずだ。

障害を負った主人公だけでなく、彼を取り巻く誰もが悩み、誰もがささやかな勇気を持って壁を乗り越えていく。

そんな、多くの視点での物語が描かれて行く中で、観客である我々の中で、オギーはいつしか特別な少年ではなくなっていいく。誰もが悩み、誰もが傷つき、誰もががんばる中のひとりになる。気がつくと、最初はちょっとドキッとしたオギーの顔なんて、まったく気にならなくなっている。

感動ポルノなんかではなく、誰もの悩みと勇気に寄り添う物語なのだ。

すべての人。とりわけ、子を持つ親、親を持つ子に見て欲しい、今年上半期一番の映画だ。

多くの人がこの映画を観たら、世の中は今より少し良くなるんじゃないかと思う。