ヨドバシカメラの淀橋伝説後編です。

ヨドバシカメラの社名の由来については、検索すると知恵袋とかが検索上位に出てくるのですが、なんといっても本家本元・ヨドバシカメラ公式の発言を参照するのがいちばんたしかです。

ということで、上記がオフィシャルの正解です。というか、屋上のヨドバシカメラの看板すごいですね。リーゼントばりに突き出てます。

ということで、どうせなら、この淀橋という地名の痕跡を、現在の新宿、それもできればヨドバシカメラのある新宿西口辺りで発見したいということです。

で、まあちょっと調べればすぐにわかることでした。淀橋の痕跡は、新宿エルタワーの駐車場入口の横にあります(要するに駅からだとエルタワーの裏手)。

名前は「淀橋浄水場趾の碑」。

ということでやってきました。たしかに、この場所はエルタワーの駐車場に用事でもない限りはそうそう通らない道ですわ。

ということで、こんな場所です。

上の写真で、ちらっと見えていますが、東京モード学園の裏手のふもととか言った方がわかりやすいかもしれません。いずれにしろ、ここは普通はなかなか通らない道です。

もう少し近寄ってみましょう。

ちょっと読みにくいので、以下に書き起こしておきます。

淀橋浄水場趾

 この地は明治31年東京水道の創設時から昭和40年までの67年間首都給水施設の中心であった淀橋浄水場の正門あとです

 浄水場の総面積は34万500平方メートルで、いまは新宿中央公園と11の近代的街区に生れかわっています

昭和45年3月 東京都水道局

つまり、ここが正門ということは、こっち側は見渡す限り、全部淀橋浄水場だったということです。

これは、淀橋浄水場すげえってことでもありますし、昭和40年以降の東京の水道事情は、この淀橋浄水場をもってしても、どうにもならないレベルになっていたということでもありますね。

なお、淀橋浄水場そのものや当時の水道にはついては、以下の記事などをどうぞ。

町レベルでもそうですし、さらに都市となると、1か所に大量の人やものが投下されるので、複数のレイヤーが場所を作っていくことになります。

特に東京は、江戸以降同じ場所で発展を続けていますので、都市はレイヤーであるという視点をひとつ持っていると、街を見るのがとても楽しく、まさに重層的なものになります。

新宿ヨドバシカメラ西口に行って、もし時間があれば、新宿エルタワーにある淀橋浄水場趾の碑もぜひどうぞ。