言わば、『ダンケルク』のB面。いや、むしろこっちがA面か。
第二次世界大戦のイギリス。史上初の戦車軍団による電撃作戦『パンツアーブリッツ』をもって、東のポーランドへ進攻。そして、西のフランス、ベネルクス三国を、驚異的な速度で攻め落とした。
フランスは事実上征服され尽くそうとして、フランスの支援のためにヨーロッパ大陸に渡っていた40万人のイギリス兵は、何らかの方法で救出されない限り、フランスの北岸で壊滅してしまう。
この場面の政治劇を描いたのが、この『ウィンストン・チャーチル』で、実際に民間船まで徴用して行われた、英仏海峡を渡る『ダイナモ作戦』を描いたのが『ダンケルク』だ。
(以下、多少のネタバレを含みます)
ロンドンの喉元に突きつけられた、ナチスドイツという刃
映画『ダンケルク』も静かなトーンの映画だが、それでも海岸での戦闘、メッセーシュミットやスピットファイアの空中戦など、アクションシーンもある。対して、『ウィンストン・チャーチル』は、ほぼ室内で展開される政治劇だ。
後世の歴史を知る我々は、ナチドイツの残虐な虐殺、ヒトラーの独裁を知るから、連合国側が勝って良かったと思っている(それにしても、我らが日本は枢軸国側で負けて良かったのに、そう思うというのはどういうことだろう。我々の国は間違っていたのか? それとも戦後のGHQの教育が行き届いていたのか?)。
しかし、当のチャーチルが生きた時代には、そこの後世の歴史は分からない。
ベネルクス三国を押しつぶし、フランスを平らげ、イギリスの陸軍40万人は風前の灯火。英仏海峡を渡れば、首都ロンドンまで指呼の距離だ。
英仏海峡は50kmもないし、そこからロンドンも100kmもない。
日本に例えて言えば、千葉が陸で東京と繋がっていないとして、館山のあたりにドイツ軍がいて、そこから東京湾を渡って三浦半島の先端に上陸して、陸を進軍すれば東京……という距離感とあまり変わらない。つまりは、もう喉元に刃を突きつけられた状況だったのだ。
バリバリのタカ派の意見が圧倒する時
ヨーロッパ大陸の覇者となったドイツ軍に対し、仲介をするというイタリアを頼って和平交渉をしようというのがハリファックス卿の主張だ。
状態としては、もはや絶望的。40万人のコンチネンタルに取り残された兵隊たちを無事に帰らせ、第一次世界大戦のような大量の死者が発生することを避けるには、平和裏に解決するのがベターだ。強大な軍隊が首都の喉もとにまで迫っており、戦うとなれば、自分たちの住む首都は戦場となり、何十万人、何百万人が死ぬことになる可能性がある。
今の常識で考えれば、和平交渉に決まっている。どう考えたってハリファックス卿の言うように、イタリアに仲を取り持ってもらって、戦わずに済ましたい。
が、そこで登場するウィンストン・チャーチルは、『徹底抗戦』をブチ上げる。もう喉元に切っ先が届いているというのに、大陸に残された40万人の兵隊の命はまるで人質のように風前の灯火だというのに、チャーチルは相手をぶん殴ろうという。ナチドイツと戦い続けようという。
今風にいえば、バリバリのタカ派だ。
しかも、彼は軍人としては多くの失敗をしており、政治家としてもかならずしも有能だとは思われなかった。経済運営も失敗していた。
さらに65歳と決して若くはなく、独りよがりで、ワガママで、もうもうと葉巻を吸い、時にヒステリックだった。
そんな男の言う好戦的な意見が取り上げられたのは、驚くべきことだ。
しかし、チャーチルは歴史に残る議会運営をし、奇跡のような演説を行い、圧倒的な劣勢から意思決定を覆し、イギリスの顔を上げさせることに成功する。これによりダンケルクに孤立した40万人を救い、バトル・オブ・ブリテンを戦い抜き、及び腰だったアメリカ軍を呼び寄せ、大量の死者を出すことになるノルマンディ上陸作戦を成功させ、最終的にナチドイツを追い落とし、連合国側に勝利をもたらす。
歴史に『もし』はないが、世界最大のターニングポイントのひとつが、このチャーチルの演説にあったことを間違いない。
どうやって、議会における圧倒的劣勢をチャーチルが覆したのか。ぜひ、映画でご確認いただきたい。