’78年には9歳だったから、そこから約40年、スターウォーズに付き合っていることになる。

そして、いよいよ最終話となる第9作へ繋がる、第8作目『スターウォーズ/最後のジェダイ』。おおいに話を盛り上げて、最終作へとなだれ込んで行く準備となるはずだ。

我々世代にとっては、とにかく必見。だって人生のほとんどの期間に渡って、この物語が並走してくれているんだもの。迷ってる人は劇場で見たほうがいい。DVDやブルーレイで見るのとは全然ワケが違う。これはできるだけ映像と音響のいい映画館で、たっぷりと浸って観るべき映画だ。

もう一度、言っておく。とにかく、映画館で観ておいて!

(以下、多少のネタバレを含みます)

大絶賛派と完全否定派、あなたはどっち?

たまたま、友達のお父さんに連れられて、9歳の時に観た最初の『スターウォーズ』以来、40年に渡って公開時に劇場で観てきた我々にとっては、作品の出来がどうあれ観るしかないのだが、それにしても、本作は作品の評価が、大絶賛派、完全否定派、真っ二つに分かれているのは興味深い。なんでなん?

いや、私はもちろん大絶賛で、その理由はあとで述べるにしても、否定派の人は期待値が高過ぎるんじゃないかと思う。スターウォーズを『正統派SF』とか思ってるんじゃなかろうか?

そもそもが、『スペースオペラ』と言われ、宇宙を戦闘機で飛び回りながら、時代がかった連中が、光る剣でチャンバラをしたり、毛むくじゃらだったりヌメヌメしたりした珍妙な宇宙人がいろいろと出てくる、珍妙な映画だよ?

少なくとも当時の大人たちはそう思っていたし、同時期に日本で公開された『宇宙からのメッセージ』(真田広之や千葉真一が出てたよねぇ……)という真似っこ作品が3流で、スターウォーズは1流だなんて評価ではなかった。基本は娯楽映画なのだ。

4〜6の旧三部作が素晴らしかったという人も多いが、モスアイズリーの酒場の楽団はたいがいだったし、『エピソード VI ジェダイの帰還』に至っては、エンドアの森ヌイグルミが戦ってたんだから。そもそもダースベイダーのカッコだって、客観的に考えると相当チープ。

しかし、継ぎはぎだらけで、奇想天外で、B級感いっぱいだからこそスターウォーズ・シリーズは素晴らしいのだ。と私は思うんですがねぇ……。

40年の作品の歴史をまるっとおさらい

さて、話を戻して、私が受け止めている今作の位置づけから。

全9作あると言われているが、最初の1作はまだ成功が約束はされていない作品だった。作品公開後にこの映画が全9作の4つ目の物語だることが明かされる。とりあえずは、大ヒットによりあと2作を作れるようになり、『エピソード V 帝国の逆襲』と『エピソード VI ジェダイの帰還』が作られた。

『エピソード VI ジェダイの帰還』が1983年だったのに対して、『エピソード I ファントム・メナス』は1999年。その間、14年が空いており、正直もう続きは作られないのかと思ったほど。

大々的なキャンペーンとともに始まった1〜3の『新三部作』の始まりは、ちょっとコケ気味だった。新世代のスターウォーズを作るに当たって、最初の作品と同じように子供にウケるように、主人公のアナキンは7〜8歳の少年とされ、子供じみたポッドレース(楕円のコースを回るのはアメリカ人の大好物だが)が折り込まれ、ジャージャービングスをはじめとした子供だましの演出があった。大変不評だった。

不評をウケて、次の2作は旧三部作世代の大人たちにウケるようにフォーカスして制作。『エピソードII クローンの攻撃』では、闘技場での『ジェダイ騎士団』の集団戦闘、『エピソードIII シスの復讐』では、トルーパー達の大規模戦闘、(比較的)若いヨーダのライトセーバーによる『ヨーダ無双』本気の大立ち回り、という『オジサン達、誰もが観たかったシーン』をガンガンと入れることにより大きく盛り上がり、評判も回復した。

ただし、物語としては、少年アナキンは、いずれにせよ心をゆがめてダースベーダーに成り果てねばならず、しかもその前にパドメにルークとレイアという双子を宿す……という未来の設定から来る制約があった。母シミの死、タスケンレーダーの虐殺、ジェダイへの不信、メイス・ウインドウの死、多くのジェダイマスターが(意外とあっけなく)死んで行くシーンを描かねばならず、不自然でもあったし、陰惨な印象の作品となったことも確かだろう。

7〜9の『続三部作』は、そういう設定上の縛りも少なく、しかもちゃんとウケを狙い、ビジネスとしての成功も計画した、マーケットインの作品として作られている。

子供から、旧三部作から観続けているという50代、デートでやって来るライトファンからディープなマニアをすべて納得させ、キャラクタービジネスを成功させ、映画のあとにはDVD/BDを売り、さまざまなSNSを上手に使い、好意的な世論が形成されるようなプランニングまで行われているだろう。

このシーンだけでも、40年生きながらえた甲斐がある!

それを踏まえ上で、いやだからこそ、『エピソードVIII 最後のジェダイ』は傑作だった。

(ここまでこの文章を読んでる人は、もはや映画を見た人だと思うから言ってしまうが)何が最高って、やっぱり『ルーク無双』だろう。

伝説から復活したルークがたったひとりでAT-M6の大軍の集中砲火を浴び、誰もがルークは木っ端みじんになってしまったと思った、砲煙弾雨が止んだ時にゆらりとルークが現れるのが、この映画の最高のシーン。旧作から約40年ルークに付き合ってる我々は、ある意味同世代のルークの無敵の活躍に心躍らさざるを得ない。

そして、ダークサイドの若手ホープ、裏切った元弟子であり甥でもあるカイロ・レンとのフルパワーのライトセイバーバトルも圧巻。この一連のシーンだけで、数年待った甲斐があるというものだ。

本当に戦っていたのは40年という歳月とだ

40年に渡って続いているシリーズによって、特撮……というかCG技術の進化はプラスではあるが、現実世界の時の流れこそが重い影響を与えてもいる。

ハリソン・フォード、マーク・ハミル、キャリー・フィッシャーは年老いた。現実世界では『エピソードVIII 最後のジェダイ』の撮影までを終えていたキャリー・フィッシャーが急な病で世を去った。また映画を受け止める世の中自体も大きく変わっている。

主人公を女性にし、助演を黒人にしたのも、現代の性差別、人種差別に対する社会的規範の変化に対応したものだろう。タコ頭や、巨大ナメクジみたいな生物がいる世界を描きながら、人種差別について考えなければならないのも妙な話だが、たしかに旧三部作は白人と奇っ怪な異性生物の世界だった。

スカイウォーカーの血統に強力はフォースが宿るという血族主義、選ばれたジェダイ騎士団という排他的な貴族主義も終わりを告げそうだ。『エピソードVIII 最後のジェダイ』で描かれたのは、血族主義と貴族主義の粋でもあったルーク・スカイウォーカーの最後と、どうやら一般の子供にフォースが宿ったらしいシーン。誰もがフォースを宿す、民主的な世界になりそうだ。

次作、『エピソードXI』は、40年を越えて続いた物語の大団円になる。

スノークがいなくなり、敵役がカイロ・レンだけで成立するのか不安だが、最後はレイ、フィン、ポー、ローズ達、新世代のレジスタンスと、『エピソードVIII 最後のジェダイ』のラストシーンで描かれた、フォースを持つ子供たちの時代の到来が描かれるはずだ。あと2年。42年がかりの物語の完結を観るまで、これまでの8作をじっくりと観ながら待つことにしよう。

……といいつつ、9作目が終わってもシリーズが作られるような話もあり、ディズニーの商魂の逞しさには驚かされる。ビジネスになるんだから、アベンジャー・シリーズみたいに永遠に続編やサイドストーリーが作られるんだろうけど、ともあれまずは9作目をしっかり終わらせて欲しい。