私が生まれ育った土地は鎌倉ではないが、やっぱり寺社に囲まれた古い土地で、鎌倉と同じように、木々や岩の精や、沼の妖怪、寺社に住むいろいろな『あやかし』がいっぱいいた。

いや、あれは僕の心の中だけにいた妖怪だったのかもしれないが、30年も40年も経つと、それが本当にいたのだか、いなかったのだか、なんだか分からなくなる。

『DESTINY 鎌倉ものがたり』は、そんな黄昏(たそがれ)の国にほど近い『鎌倉』を舞台にした物語。

結論からいうと、私にとってはけっこう面白かった。あなたにとって、どうかは分からないけど。

(以下、多少のネタバレを含みます)

覚えてますか? あやかしの棲む世界

子供の頃住んでいた家の近くには、中国から来たエライお坊さんが開いたという大きなお寺があった。山に向かって、いくつもの門が設けられ、山肌に回廊が続いていた。

年に一度のお祭りの時には、紙細工の天国と地獄が作られて展示されていた。銀紙の針山地獄には、赤い絵の具の血を流す紙細工に人形がたくさん貼り付けられていた。天国には小奇麗なソファーのある色紙の家に、召使いにかしずかれた夫婦が暮らしていた。

寺の放生池で、カメやザリガニを捕り、松の木でセミを捕り、寺の床下に潜ってアリジゴクを捕まえた。床下で魔界から迷いでた小鬼に遭ったり、池でカッパに遭ったりしなかったと、誰が言えよう。祭りの夜の屋台の明るい照明でできる鳥居の影に、妖魔が潜んでいなかったりしたら、むしろ不自然だ。

その頃の実家には、古くて昼なお暗い離れがあり、誰かが外国からも持ち帰った土人の木彫りの像や、お面、パチンコ台や、油絵、なぜか車の丸ハンドルを溶接された自転車、岩絵の具……などが埃を被って放置されていた。そこにだって、間違いなく何かが棲んでいた。

今の、LED照明で照らされ、エアコンが効く家には『あやかし』はもう棲んじゃいないだろうが、今、40〜50歳ぐらいの人が子供時代を地方で過ごしていたりしたら、多かれ少なかれ、そんな黄昏の国と繋がる薄暗い世界の記憶をお持ちのはずだ。

この『DESTINY 鎌倉ものがたり』は、そんなほの暗い世界へ、何十年ぶりかに我々を連れて行ってくれる映画だ。そういう記憶のない人には、なんと言ってもご理解いただけないと思うが、そんな世界を私と一緒に懐かしがってくれる人は少なくないはずだ。

130歳の家政婦さんに、貧乏神まで続々登場

作家・一色正和は、鎌倉に住む(それほど売れっ子ではない)小説家。亜紀子は、東京からヨメに来た娘。東京生まれ、東京育ちらしく、あやかしには縁のない生活を送ってきた。

鎌倉の住人にとっては、妖怪や幽霊が出没するのは日常茶飯事で、死んだ人を連れて行く死神に逢えたりするし、家政婦さんは130歳ぐらいだし、あろうことか貧乏神に取り憑かれたりもする。

そんな中で、正和と亜紀子の夫婦の周囲で起こるいろんな物語が描かれる。日々の生活の中で、『あやかし』達に遭ったことのない人にとってはつまらないし、『あやかし』のいる世界を知っている人、記憶のある人にとっては、とても懐かしい、居心地のいい映画だと思う

『三丁目の夕日』『シン・ゴジラ』などの延長線

原作は三丁目の夕日を描いた西岸良平。あの面長で口が三次元的にはどういうコトになっているか分からない絵を描く人だ。

監督も同じく三丁目の夕日で知られる山崎貴。もちろん、背後にはシン・ゴジラや、永遠の0を作ったVFXチーム『白組』がいる。シン・ゴジラをご覧になった方はご存じの通り、『白組』のVFXは、ハリウッドクラスの予算がかかったゴージャスなものというワケではないが、日本のVFX映画としては非常にレベルの高い、映像として違和感のないものに仕上がっている。

これにより、日常のそこかしこに潜んでいる妖魔も、後半に登場する異世界も、我々の子供の頃に思い描いた世界とさほど違和感のないオリエンタルなものに仕上がっている。

映画の展開としては、『この世界の片隅に』と同様、日常を描く短編集的マンガを1本の映画にまとめるという難しさが少し出ている。つまり、映画全体として、起承転結がズバっと通っているわけではなく、小エピソードの集合体で、最後に少し映画のために特別に膨らました大エピソードが配されているという感じなのだ。

原作のエピソード群を上手くまとめているともいえるが、この映画だけを見る人にとっては、もう少し、全体のストーリーの筋を通して欲しい。予告編を見ると、死んで黄泉の国に連れ去られた亜紀子を連れ戻しに行く物語のように見えるが、亜紀子が死ぬのは上映時間の半分以上、正確に計ったわけではないが、2/3以上が過ぎてからだ。

福沢諭吉だけはちょっと興ざめ

とまあ、構成に多少の不満はあるが、私的には世界観はとても好き。

子供の頃に、異世界から来る妖魔や、幽霊と一緒に遊んでいたような記憶があるような気がする人はぜひ、見ていただきたい。

そうそう、蛇足だが、世界観としては昭和30〜40年代(監督はパンフレットでは『古いものがある現代』と言ってるが)なのに、車は戦前クラスの旧車が出てきたり、お札は聖徳太子ではなく福沢諭吉だったりと、時代設定が若干バラついているのが気になった。特に福沢諭吉は現実に引き戻される感があったので、聖徳太子にして欲しかったなぁ……。