血みどろで、屍の山を築いたヨーロッパ戦線

我々日本人にとって、第二次世界大戦といえば太平洋戦線だが、約5500万人と言われる第二次世界大戦の犠牲者のうちおおよそ3900万人がヨーロッパ戦線に於ける死者だ。
(※死者数については、いずれも諸説ある)

ひとつひとつの命に、人生があり、愛があり、親や子、恋人や妻や夫があったことを思うと、この膨大な死者数は途方に暮れざるを得ない。ガダルカナル、硫黄島、沖縄、東京をはじめ各都市へのB-29による無差別爆撃、2発の原子爆弾、シベリア抑留……などによる数限りない我々の知る悲劇の集合である日本の人的被害は約310万人と言われているから、その12倍もの悲劇がヨーロッパ戦線ではあったことになる。

いずれの死も悲劇であることに変わりはないし、数の多寡の問題ではないことは重々承知だが、我々の認識の薄いヨーロッパ戦線で、それだけの悲劇が起っていたことは知っておくべきだろう。

ちなみに、そのうち2660万人がドイツと戦ったソビエトの死者で、500〜1000万人がホロコーストによる死者だと言われている。いかに、ナチドイツの与えた人的被害が大きかったか分かるだろう。

ダンケルクは、そんなナチドイツ軍が押し寄せる中、ヨーロッパ大陸から一時撤退し、イギリスへ帰ろうとするイギリス軍の物語だ。


太平洋に散らばった島をめぐる戦いだった太平洋戦線に対して、ヨーロッパ戦線は人が住んでる土地、町そのものの上で戦われたことが人的被害を大きくした。ナチドイツの東進に対して人海戦術で進行を食い止めようとしたソビエトの戦術が死者を大きくしたことはよく知られているが、ともあれ人が住んでる畑の、村の、町の上で人類史上類を見ない激しい戦いが行われたことが多くの死者を産んだ。

末期になり沖縄戦が始まり、本土空襲が始まるまでは、太平洋の島嶼の取り合いであった太平洋戦線が、距離をおいたのアウトボクシングだったとすれば、ヨーロッパ戦線は顔を突き合わせてのインファイトだったのだ。相手の顔が見える距離で、両者が対峙、その狭間で一般市民が数多く犠牲になったのだ。

ドイツ軍をせき止めた、わずか30kmのドーバー海峡

私は学生時代に、船でイギリスのドーバーから、ベルギーのブルージュへ渡ったことがあるが、この斜めの渡り方でさえ、3〜4時間ぐらいの船旅だったように記憶する。最短距離であるドーバーからフランスのカレーまでなら30kmほどしかないから、それこそ1時間ぐらいで渡れるだろう。

このたった30kmのドーバー海峡が、ナチスドイツの進軍を食い止め、軍事力を蓄える時間を確保し、D-DAYにおける大反抗へと繋がる連合軍の防壁となったのだ。

D-DAY、ノルマンディ上陸作戦を描いた映画といえば、戦争映画の金字塔『プライベート・ライアン』がある。城塞を築いて守備を固めるドイツ軍に対して、圧倒的な軍事力と、死を恐れぬ大勢の海兵隊員の突撃をもって、屍の山を築きながら、崖に取りついていいく様子を描く冒頭の映像の迫力は、70年ほど前に起ったことの恐ろしさを非常によく伝えている。

『ダンケルク』は言わば、その『プライべート・ライアン』と対になる映画ともいえるだろう。

奪還の物語である『プライベートライアン』に対して、撤退戦の『ダンケルク』。

機関銃になぎ倒され、死にゆく人々。散らばる肉片、飛び散る血しぶきをもってその凄惨さを描いた『プライベート・ライアン』に対して、重圧に対して息を殺して対峙する人たちを(比較的)静かに描く『ダンケルク』。

史実としては、1939年9月のナチドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦は始まり、ナチドイツによる戦車の集中運用による電撃戦という新しい戦法によって、ヨーロッパ大陸はあっという間にナチドイツに制圧される。そして、撤退していくイギリス軍の最後の40万人がダンケルクに取り残され、彼の生き残りをかけたの戦いがここで描かれるわけだ。そして、1944年の6月、『プライベート・ライアン』で描かれるノルマンディ上陸作戦まで、連合軍はヨーロッパ大陸から撤退し、イギリスで耐えねばならなくなる。

しかし、大反攻に向けて、ダンケルクから40万人の兵を撤退できたのは、相当大きな成果だったはずだ。

息詰まる脱出と、不思議な時間の描き方

物語は、陸、海、空で展開され、それぞれ違う時間軸で、最後の一瞬に向けて流れ込んでいく。決定的な一瞬に向けて、長い時間を描く陸上での物語、次いで時間のかかる海上の物語、そして、短期間で勝負が決する空中の物語が、同じように描かれるので、観ている方では、ちょっと時間が混乱する描き方だ。それぞれ、1週間、1日、1時間という時間単位を、終わりの方を揃えて、平行に描いていくからだ。

しかし、そんな混乱も含めて、戦場の緊迫感の表現なのだと思う。必死でも必死でなくても、卑怯でも卑怯でなくても、死ぬ人は死に、生きる人は生き残る。あまりにも膨大で圧倒的な死が、そんな人々の思いを押しつぶしていく。

CGではなく、極力本物にこだわったという実写映像が、なまなましい現実感を醸し出す。砲撃で飛び散る土くれや波しぶき、吹きすさぶ潮風は現実のそれなのだ。

撮影は、実際にダンケルクの浜辺で行われたし、脱出に使われた民間の船は、当時実際に活躍したものも含まれているという。

ふんだんに実機を使った空戦シーンにも注目

見せ場である、空戦シーンもかなりの割合で実機を使っている模様。

脱出のために桟橋に集まるイギリス兵たちを、攻撃する急降下爆撃機がユンカース Ju 87スツーカ。地上では無敵を誇る戦車も、この急降下爆撃機に上面の装甲の薄い部分を狙われてはひとたまりもなかったと言われる。歩兵にとっても抗うすべのない死神だったことだろう。

ちなみに、スツーカには脚にサイレンが取り付けられており、急降下する時に悲鳴のような音を上げるようになっていた。地上の兵を怖がらせ、戦意を喪失させるためだったと言われるが、劇中でもこのサイレンが鳴り響き、スツーカが急降下する様子が描かれる。

そのスツーカや、双発の爆撃機であるハインケルHe 111を捨て身で攻撃し、地上の兵や、艦船を守ろうとするのが、大英帝国の守護神スピットファイアだ。

地上の人や海上の船にとって、悪魔のようなスツーカやハインケルもスピットファイアに襲われたらひとたまりもない。そんな空の弱肉強食の世界もよく描かれている。そのスピットファイアも攻撃に気を取られていては、護衛機のメッサーシュミット Bf 109に食われてしまう。

わずかな海峡の上で、制空権を争っての激しい戦いもこの映画の見せ場のひとつだが、そんな飛行機の特徴を知っていれば、より楽しめるだろう。操縦桿やスロットルの操作も機動に合わせて演じられているし、スピットファイアの操縦桿ならぬ操縦『環』も、見ることが出来る。劇中ではスピットファイアはかなり強力に描かれているから、蛇の目(機体に描かれるらラウンデル=国籍識別の円)ファンにとっては、気分が盛り上がる映画だ。

ちなみに、スピットファイアは型式(スピットファイアはバリエーションが多く、この時期に飛んでいたタイプを揃えるのは大変そう)に拘らなければフライアブルな実機はそれなりにあるし、メッサーシュミットも飛行可能な機体は存在するはず。イスパノメッサー(スペインのライセンス生産版)もあるし。

ただし、劇中に登場した機体のように機首部分を黄色く塗っている機体はもうちょっと後の時代……ドイツ軍がもっと航空優勢になって、迷彩より味方の誤射を防がなければならない時代まで登場しないハズだ。スツーカの飛行可能も機体あるが、ビンテージプレーンでは急降下とそれにともなう引き起しは困難だろうから、この部分は撮影上の工夫が行われているか、ラジコン飛行機やCGが使われているのかもしれない。

劇中でも残存燃料が少なくて、帰れるかどうか危惧するシーンがあるが、スピットファイアもメッサーシュミットも、600km程度の航続距離しかない。増槽を使えば3000kmを飛べたゼロ戦とは大違いだ。しかし、この事実自体が、ヨーロッパ戦線での戦いがいかに接近戦であったかを物語っているわけだ。航続距離よりも、いかに早く離陸し、高度を上昇させて優位な位置に立つかが重視されていただわけだ。

敵と死が目の前にある戦い。大軍がインファイトで戦ったヨーロッパ。

その前半戦の最後の戦い、ダンケルクの戦いは、第二次世界大戦のターンニングポイントとなった戦いをその場の一兵卒に寄り添って描いている。