『ハクソー・リッジ』という映画の予告編を見たときに気になったのは、『実話』をうたうこの映画の舞台はどこかということだ。ご覧のように予告編では、舞台がどこで、敵は誰なのか? まったく語られない。語られないのは触れたくないからなのだろうか?

(以下、多少のネタバレを含みます)

この映画に行くべきは、あなた!

あなたにオススメ!

・沖縄戦で何が起ったかその一面を知りたい人
・感動作を見たい
・宗教に関して深く考えたい

あなたにはススメナイ!

・血なまぐさい描写は苦手
・日本軍、日本の民間人になにが起ったかちゃんと知りたい

沖縄戦であることを隠してプロモーションしたのはなぜなのか?

Googleで検索して調べてみると、案の定、『ハクソー・リッジ』は沖縄だった。現在でいう沖縄の浦添市にある日本名『前田高地』が、米軍には『ハクソー・リッジ(ノコギリ崖……というような意味)』と呼ばれていたわけだ。

『地獄の黙示録(1979)』はベトナム、『プライベートライアン(1998)』はノルマンディを舞台にしていて、それぞれ、ベトコンや、ドイツ兵が敵として登場するが、それを隠しているワケじゃない。『ハクソー・リッジ』はなぜ隠したのか? 日本に対する特別な配慮なのかと思い、アメリカ版の予告編も見てみたが、アメリカ版でもやはり敵がどこの国かはほとんど出てこない。つまり、日本における特別な配慮……というわけでもなさそうだ。

そんな疑問を抱いていたら、BuzzFeedが大変優れた記事をアップしてくれていた。

何が素晴らしいって、ちゃんと配給会社のキノフィルムズと浦添市役所に話を聞いてくれている。

で、キノフイルムは
『タイミング的にも、変に煽るようなイメージにはしたくなかった。全国的にうたうのは避けた』
と言っていて

浦添市役所は沖縄の浦添市が舞台であることを隠したプロモーションに対して
『その点に確執はありません。なぜなら、浦添で起こったこと自体が重要なのではなく、映画という入り口から、多くの方に平和についてあらためて考えてほしいから』
と言っている。

浦添市役所は、さらに舞台の詳細について、詳しいウェブサイトを作り、映画を見た人、現地を訪れた人がより深く理解できるように工夫してくれている。

第2次大戦末期、敗色濃厚、追いつめられる大日本帝国は沖縄戦を長引かせることで、本土決戦のための時間を稼ごうとしたと言われている。そのために、沖縄の大日本帝国軍は執拗な持久戦を強いられた。

米軍は圧倒的な火力で艦砲射撃を加えながら、西側の海岸の、今はリゾート施設も数多くある北谷のあたりに上陸し、普天間、宜野湾などを通過して南下。本部のあった那覇の首里城を目指した。その過程で攻め落とさざるを得なかったのが、『ハクソー・リッジ』こと前田高地だったのだ。ちなみに、史実ではハクソー・リッジは乗り越えられ、那覇の本部は陥落し、そこで降伏せずに沖縄本島南部に逃げたために、先に南部に避難していた民間人を巻き込んだ悲惨な戦闘へと雪崩込んでいくのだが……。

沖縄であることを言う必要はなかった。だが……

私の結論から言うと、この映画は、沖縄であり浦添であることを全面に押し出す必要はなかったと思う。

この映画の主題はそこではなく、血みどろの戦場で、人助けに徹したデズモンド・ドスのヒロイックな行動について、そしてセブンスデー・アドベンチストというキリスト教の宗派の教えに対して頑固に忠実だった、その殉教の姿勢に注目している。そういう意味では、場所が沖縄であり、相手が日本人であったことはあまり問題ではないし、それをあまり描かなくてもよかっただろう。

たしかに日本人は『死を恐れぬ不気味な敵』として描かれる。が、それが必要以上に過剰だとは思わない。主題に対して忠実であれば、あまり日本人を細かく描かなくても良かったのだと思う。戦闘中の怒鳴り声や、通り過ぎる『敵兵士』の会話が日本語であることに『ハッ』とさせられるぐらいだ。

ただ、やはり、そこで戦う人たちは我々の祖父の代の人たちであり、約20万人という同胞が死んだことを我々は知っている。当時、15歳だった人は、今87歳。十分にご存命で、中には映画を見る方もいらっしゃるかもしれない。

そこに、僕の感じた違和感はあった。我々にとって……少なくとも私にとっては、沖縄戦は身近な『史実』だった。しかし、メル・ギブソン監督が描こうとしたのは史実に基づく『伝説』だった気がする。

血みどろの戦場で75人もの兵士を救い出したヒーロー。しかし、敵にしろ、味方にしろ、何千、何万という人がむごたらしい殺し合いをして死んでいく中で、人助けをしたヒーローを描くことに、私は、やはり違和感は拭えなかった。