障がい者の方に関して語るのは難しい世の中である。
避けて通っちゃイケナイし、かといって迂闊な扱い方をしたら大炎上のリスクもある……メディア人としては避けて通りたい……そんなテーマを正面から扱って、エンターテイメントに仕上げた傑作である。
障がい者の方を扱っているからといって、説教臭くもなければ、お涙頂戴でもない。実話を元にした物語だが、ドキュメンタリーではなく笑ってそして心に温かいものが残るエンターテイメントとして完成さされている。これは、監督はじめ制作スタッフの手腕であり、この役のために最大10kgもダイエットして臨んだ大泉洋の演技力とキャラクターだと思う。
まずは、映画の内容をとってもよく紹介した予告動画をどうぞ。
概要をよく伝えた予告編だが、大泉洋のキャラクターとこの映画の主題の他に、もうひとつ観賞後に残るポイントである高畑充希の魅力が乗っかってないのが残念。これについては後述。
(以下多少のネタバレを含みます)
三浦春馬扮する医学生・田中久に連れられて、重度の筋ジストロフィー患者・鹿野靖明(大泉洋)のボランティアを行うことになった安藤美咲(高畑充希)が、真夜中に『バナナ食べたい、バナナ』と言う鹿野のわがままぶりにキレるところから物語ははじまる。
障がい者と介護者というと、介護者の人が親切で、障がい者の方は『遠慮がちにお願いごとをするべきだ』と思っている既成概念をブチ壊すのがこの鹿野さん。実在の人物で、実際にそう振る舞っていたらしい。
人が人らしく生きるためには、いつもペコペコお願いして生きるわけにはいかない。予告編にあるように「オレが人生楽しんじゃいけないのかよ!」というスタンスで生きなければ。それが鹿野さんの切り開こうとしていた生き方だった。
12歳の時に筋ジストロフィーであることが分かり、18歳から車いすでの生活を余儀なくされてきた鹿野さんは本来病院に入院していないと生活できないはずだった。人手を借りなければ生きられないのだから、通常なら親の介護に甘えざるを得ない。
なのに、鹿野さんは、病院を飛び出し、親の介護を拒否し、ボランティアを集めて日常のすべての介助を依頼して生きていたのだ。
しかも、「お願いする」のではなく、「君たちだって、得るものがあるんだからお互い様だろ!」という態度で通していたのだ。これはすごい。
「おっぱい触らせて」
物語の軸となるのは鹿野さんのその姿勢。病状の進行。そして、医師の卵、医学生として鹿野に関わる田中の迷いと成長。同じく生き方を探していく美咲。そして、田中と美咲の恋愛模様。介護をしながら、人として鹿野に惹かれていく美咲。それは憐憫なのか、尊敬なのか、愛情なのか……?
エロビデオの観賞と自慰に田中を付き合わせたり、エロ漫画(エロトピア)を買ってこさせたり、美咲が棚の後ろからエロビデオ(懐かしくもVHSだ)を見つけたり……といった描き難い『障がい者の性』問題もちゃんと描かれている。
「おっぱいさわらせて」と鹿野が美咲に言うシーンさえもあったりするのだが、それを笑いと温かい気持ちに昇華させていく展開は、高畑充希の好演というか、天然っぽいキャラクターの素晴らしさだろう。
「鹿野さんは何様?」「ホント最低、もう二度と来ない」という予告編にも出てくるセリフは、まさに一般の視聴者の最初の立ち位置なのだが、限界を越えて吹っ切れて、ボランティアの仕事をするうちに、鹿野さんの魅力に気付いていく充希は、まさに観客の気持ちの依り代となってドラマに引き込んでいく。
仕事上の人付き合いに悩む人は参考になるはず
その後の展開については、映画を見ていただきたいのだが、この映画を通してもうひとつ気付くことがある。
それは「鹿野さんのマネジメント力の高さ、コミュニケーション力の高さ」だ。
これは、見習いたい。
ボランティアをやめると言った美咲にラブレターを書いて、ジンギスカンデートに連れ出しふたたびボラに巻き込む。
教育大の学生であるとウソをついたことで悩む美咲に「ウソをホントにしちゃえばいい」とアドバイス。
ケンカした田中と美咲をだまし討ちで呼び寄せ、田中に乾杯の挨拶をさせ再びボラに巻き込み、旅先の朝焼けの中、3人で話し、お互いの気持ちに向き合わせる……。
『声しか使えない』鹿野さんだったからこそ、実際にそういう人だったのかもしれないが、奇しくもチームビルディング、マネージメント術の真髄を描いている。会社で同僚との付き合い方や、部下との関わり方に悩んでいる方は参考になると思う。
「本音で話せよ、正直に生きてるか、おまえ?」という田中への問いかけは、我々の胸にも突き刺さる。いつ人生が終わるかわからない、今日より明日できることが少なくなっていく筋ジストロフィーの鹿野さんが言うとなおのことだ。
あらためて、正直に生きているのか問われる? 僕は、あなたは、夜更けに「バナナ食べたい」って言えているのだろうか?